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吾輩は猫である_十一 - 2

夏目漱石
日语读物
总共148章(已完结

吾輩は猫である 精彩片段:

十一 - 2

「迷亭君、君の碁は乱暴だよ。そんな所へ這入(はい)ってくる法はない」

「禅坊主の碁にはこんな法はないかも知れないが、本因坊(ほんいんぼう)の流儀じゃ、あるんだから仕方がないさ」

「しかし死ぬばかりだぜ」

「臣死をだも辞せず、いわんや 肩(ていけん)をやと、一つ、こう行くかな」

「そうおいでになったと、よろしい。薫風南(みんなみ)より来って、殿閣微涼(びりょう)を生ず。こう、ついでおけば大丈夫なものだ」

「おや、ついだのは、さすがにえらい。まさか、つぐ気遣(きづかい)はなかろうと思った。ついで、くりゃるな八幡鐘(はちまんがね)をと、こうやったら、どうするかね」

「どうするも、こうするもないさ。一剣天に倚(よ)って寒し――ええ、面倒だ。思い切って、切ってしまえ」

「やや、大変大変。そこを切られちゃ死んでしまう。おい冗談(じょうだん)じゃない。ちょっと待った」

「それだから、さっきから云わん事じゃない。こうなってるところへは這入(はい)れるものじゃないんだ」

「這入って失敬仕(つかまつ)り候。ちょっとこの白をとってくれたまえ」

「それも待つのかい」

「ついでにその隣りのも引き揚げて見てくれたまえ」

「ずうずうしいぜ、おい」

「Do you see the boy か。――なに君と僕の間柄じゃないか。そんな水臭い事を言わずに、引き揚げてくれたまえな。死ぬか生きるかと云う場合だ。しばらく、しばらくって花道(はなみち)から馳(か)け出してくるところだよ」

作品简介:

夏目漱石《我是猫》日文原版。

1867(慶応3年)、江戶牛込馬場下(現在新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、「吾輩は猫である」を発表し大評判となる。翌年には「坊っちゃん」「草枕」など次々と話題作を発表。’07年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

作者:夏目漱石

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